其の① 一本の杖の話 

昔、奈良の都を弘法大師が一本の杖をついて旅に出た。彼は、各地で布教と勧進をしながら、同時に建築の基準として、柱と柱の間を、その杖を横にした一本分として建てなさいという風に教えていった。滋賀県を通り小浜、敦賀、武生、福井、金沢を通り富山へ着く頃に、杖はだんだんとすり減って行った。
 だから今でも、関西間(かんさいま)や京間(きょうま)は福井間より広いし、福井間は石川県の家よりも富山の家よりも広いのであるという。つまり関西間(かんさいま)は関東間(かんとうま)より広いのはこういった理由からであるという、ロマンあふれるお話でした。

ところで貴方は、この杖の長さ6尺(1尺は30cm、6尺で180cm)という基本になる数字が、まことに頭のいい魔法の数字であることを、御存知ですか。

6という数字は、1、2、3、4、5、6、すべての数字で割ることができるのです。これを基準にすることによって、高さ6尺の壁面に横に桟(さん)を渡す時に、6本を渡したい時は、1尺間隔に、5本渡したい時は、1尺2寸間隔に、4本渡したい時は、1尺5寸間隔に、3本渡したい時は2尺間隔に、2本渡したい時は3尺間隔にすればいいから、計算がまことに簡単にできるのです。

この横に渡す木のことを胴縁(どうぶち)といって、家の強度を保つために大切な材料なのですが、昔は1尺間隔だったのが、昭和初期には1尺2寸間隔になり、最近の住宅では1尺5寸間隔になって、だんだん本数が少なくなってきているのは残念です。

其の② 放物線と凧の糸の話

半 年程前、スタジオに魚のテーブルをいくつかセットして、KNBテレビに出た時のことである。収録前、何度かのリハーサルをしている時に、若いアナウンサー が私に尋ねてきた。「ところで中塩さん、この埋め込む魚の配置は、どうやって決めているのですか?」私は答えた、「こういったものの配列は、人知の及ぶと ころではないので、昔からの伝統的やり方である、庭に飛び石を造る要領でやっています……」と。
(ちなみに、“魚のテーブル”とは、当ホームページの「魚のテーブル       〈Jewelry wood table〉」の項目を見て下さい)

つ まり、実際に一枚板のテーブルの上で、500円玉と100円玉と10円玉と5円玉を、おはじきのようにして、手で上からふたをして2~3度、ガシャガシャ とかき回した後、左隅から、右に向けてパッと投げるのです。するとその放物線の延長線上に硬貨の止まった所が魚の位置です…と。昔は、庭の飛び石の配置を 考える時に、こんな事をしたそうです。

これを聞いた若いアナウンサー氏は、目を丸くして、好奇心いっぱいの顔をしたので、若い人はこんな話が好きなんだなぁと思いました。
そこで調子に乗って、もう一題。貴方は、大きなお寺の屋根のカーブ(の線)は、どうやって決めたか知っていますか。今は、どうだか知りませんが、昔は一番強い季節風が吹く時期にお寺を建てようと思っている土地に立って、凧を揚げたそうです。
 
そして、弟子が凧を揚げている横で、大工の棟梁が、その凧糸の線を写し取ったそうです。この糸の線が、お寺の大屋根のカーブに好適なわけで、一番強い季節風に一番抵抗の少い屋根になるといった、お話でした。